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院長通信

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病にあっても低下しない命の尊厳

皆さんはこんな意見や思いを耳にされたことはありますか。

「気管切開し、人工呼吸器をつけて寝たきり状態で生きていくなんて、そんな尊厳を失った状態で生きていくのは意味がない。だから私は延命治療は受けません」

自分がそのような状態になったことを想像すると、この意見の気持ちは分かる気がします。

ただ、気をつけなければならないことがあります。

・人工呼吸器をつけて寝たきり状態で生きていく人生は尊厳がないのか
・そんな状態で生きていくのは意味がないのか

今、そのような状態になられながらも生きておられる方々があります。誰一人、そんな状態を望んでなられたのではありません。自分もいつかそうなるかも知れません。

ここで問われている難病と尊厳の関係について、国立病院機構新潟病院院長
中島 孝先生が教えてくださっている寄稿文がありますので紹介します。

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病気になり機能が低下してしまうと、社会競争から脱落し、幸せや尊厳を喪失してしまうと考えてしまいます。機能の低下を即ち、QOLの低下と考えると、治らない難病になることは、即ち、幸福や尊厳の喪失と考えるからです。 難病患者さん自身がこの考え方にとらわれているとケア担当者は大変苦しくなりますし、反対もまた同様です。難病ケアにおいては、機能障害が進行し、自分では日常生活動作がまったくできなくなり、全介助で経管食を使い、みなに支えられている状態であっても、人間は対等な尊厳をもち、幸せになりうると考えます。

http://www.arsvi.com/2000/0501nt.pdf
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私たちが大切にしている想いの3番目にある命の尊厳の意味も同じです。

病によって、命の尊厳は低下もしないし無くなりもしません。では、どんな尊厳があるのかをよく理解することが簡単ではないこともよくわかります。しかし、職員全員が「病によって命の尊厳は低下もしないし無くなりもしない」と理解していただきたいのです。


また、治らない病気の方々にどのように向き合えば良いのかについても中島先生が教えてくださっています。

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治らない症状がおき難病になると、まず、本人は症状からではなく、言葉で落ち込んでしまいます。 「自分はもはや、絶対、健康になれない。これで人生終わりだ」、今後の人生は「生きるに値しない」、「これでは、社会から、人から捨てられるんじゃないか」と思ってしまうわけです。 その結果、自分自身をも捨ててしまう気持ちに悩むことになります。このような感じで、
自殺願望へ導かれるのだと思います。世界各国の医学者や哲学者は、この大きな問題に気がついてきました。治らない患者さんが病院に来て「治してくれ」と言う。医療従事者は「治らないと言ったのにどうしてまた来たんだ?無駄なのに」と言う。このようなやりとりは、ALSのような難病以外でも起きています。 重篤でなくても患者さんは「どうして治してくれないんですか?」、「どうして私は治らないんですか?」となり、それに対応するために、医療は空回りしてしまっています。 この原因は健康概念自体に問題があるからなんです。患者さんは、クレーマーではないのです。私たちは人生の中で、身体的な問題、感情的な問題などいろいろな問題に直面します。それが治らないだけでなく、それに適応して乗り越える能力が十分にないときに病気になってしまうのです。 つまり治らない症状・治らない病気になった時の解決法というのは、症状をゼロにすることではなく、症状があってもそれを乗り越えていく能力を回復することがむしろ重要なのです。

https://niigata.hosp.go.jp/info/heartnettv/heartnettv1104.html

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高齢化とともに治らない病気や症状の患者さんが増えています。
治らない症状をどう乗り越えてゆくかを患者さんと一緒に考える
医療従事者になりましょう。

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