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先輩医師・職員紹介
医師

これから日本の医療、舵取りしてゆくのは現場の私たちだ。

T.K. 内科

医学部医学科卒業
2012年

医師 T.K.

医療の道に進んだ理由は何ですか?
私の小さいころ、両親の口癖は、「医者になれ、医者はいいぞ」でした。
それに対して、私が思っていたのは、「医者だけは、なりたくない」でした。理由は、命をあずかる仕事は、責任が重すぎると思ったからです。
それが、大学で機械工学科に進んだとき、機械の扱いは向いてないと知らされ、身近に医学部を目指している人があって、話しを聞くにつけ「やりがいがある」と思って再受験して進んだ次第です。
当院を選んだのはなぜですか?
富山県には、医学部で学んだ当時、6年間住んでいましたので、愛着がありました。
再受験を考えたときの先輩も、この病院で勤務していましたので「行かにゃなるまい」と思って決めました。
当院の印象はいかがでしたか?
とにかく、病院が綺麗です。
まだ歴史は浅く、病院としての機能は基幹病院と比べると未開発のところはあります。
しかし病院理念にもあるように「自利利他の精神に基づいて」診療を実践していこうとしている病院で、そのベクトルが勢いを増してゆけば、やがて医療界に変化を起こせるような病院になるのではないか、という夢を持っています。
仕事ではどのようなことに取り組んでいますか?
内科一般、とくに呼吸器疾患を担当しています。
当院は外来患者さんが多く、呼吸器系では、風邪、気管支炎、ぜんそくといった患者さんがたくさん来院されます。私は初診担当の日が多く、呼吸器疾患以外に消化器、内分泌、神経疾患などの患者さんが混在しています。それらの方をどう診断し、治療にあたるか、当然の課題ですが、日々研鑽です。
仕事上でのエピソードがあれば…
院内で行われている講義を聞き、挨拶を心がけるようになりました。
以前は、知っている人にだけでいいだろうと思っていましたが、「挨拶が大事、挨拶は心の扉を開く鍵」という講義を聞き、少しずつ始めたところ、挨拶は人とのコミュニケーションを図る重要なポイントだということが実感できました。
医師の仕事は、個人プレーになることが多く、孤立しがちです。
まずは、挨拶からなのだな、と気が付きました。
スキルアップのためにやっていることは?
初診外来では、いろいろな疾患の方が混在しており、いかに正確な診断、治療が行えるか、また短時間で満足、納得してもらう診療を行えるか、が課題です。
入院の方は、高齢者が多く、体力の低下を防いで原疾患を改善させ、もとの生活レベルに戻っていただけるかが課題です。それには、看護師や医療福祉士などとの連携によるケア、リハビリテーション、サポートが重要です。医師の治療に加え、病棟全体が連携して機能していくことがとても大切です。
さらに今後は退院後も、何らかの医療サービスを必要とする方が増えてくると思います。退院後のことまで、よりよくケアできる体制を充実させていきたいと思います。
あなたにとっての「抜苦与楽」「自利利他」とは?
自分の使命を果たすこと。また、患者さん、スタッフの立場にたって、行動すること。
これを実践するためには、医療技術の向上が重要なのは当然ですが、技術を扱う自分の心と体の状態が整わないことにはうまくいきません。
どうしたら心と体の状態を保てるのか。それには、自分に無理なくできることを継続していくことが大事だと思います。
「当院ならでは」のことがあれば…
本館と南館の1F渡り廊下には、絵画の展示と、斬新な生け花があり、目を引きます。
富山での暮らしはいかがですか?
日本海の海の幸、立山の雄大な自然、豊かな田園風景に恵まれた富山県は、日本の中でも健康に、安心して生活できる地域だと思います。
当院を志す人へのメッセージ
近代日本の最初の病院は、1861年長崎に創設された「小島養生所」にさかのぼる。当時、オランダ人軍医ポンぺによって12人の日本人医学生が教授されたという。以来150年、国民皆保険制度によって日本全国、比較的均一な医療が行われる時代となった。
真生会富山病院が設立されたのは、昭和63年。今から約25年前である。近代日本の医療の歴史の1/6を歩んできたわけである。
これから日本の医療はどう進んでゆくのだろうか。
色々な問題が山積しているようだ。
舵取りしてゆくのは、現場の私たちだ。
医師
  • S.K. 消化器内科
  • H.H. 皮膚科
  • S.O. 整形外科
  • T.K. 内科

看護師

コメディカル

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