

本当に大切なことを感じられる医療者に
「病気が治らなくても、みんなが幸せになれる医療」
それを実現するためには、人は皆、平等でかけがえのない尊い命を持っている
という思いで医療を実践することが大切です。
具体的には
・患者の年齢を理由にせず、どんな人にも誠心誠意の医療を行う。
ということです。
月刊人生の目的の記事では次のように書きました。
若い人の命も、高齢の人の命も、平等に尊いのです。
どんな人の延命にも意味があります。治る見み込こみのない人の延命も、
わずか一秒の延命であっても意味があります。
「八十歳や九十歳の人を治したところでたいしたことはない」とか、
「あの人はもう治らないからいいかげんに……」などとは絶対に言いません。
患者さんの幸せだけを願っています。
「わずか一秒の延命であっても意味があります。」
本当だろうか?と思われるかも知れませんが、
こんな場面を経験したことはないでしょうか。
終末期の患者さん。
ある時の諍いから長らく連絡が途絶えていた一人の息子さんがおられました。
なんとか連絡が取れ、お父様の死期が近いことを伝えることができ、
息子さんは長年のわだかまりを捨て、こちらに向かう決意をされました。
最期、命が尽きる数分前に息子さんは到着し
お父様に「ありがとう」を伝えることができました。
お父様は理解されたかどうかはわかりません。
しかし、お父様の命のあるうちに「ありがとう」を伝えられたかどうかが、
この息子さんの悔いのない未来づくりの大切な分岐点なのです。
治しても残りの人生短いとか、何の生産性もないとか、
そんな目に見えることでの価値しかわからないと
「八十歳や九十歳の人を治したところでたいしたことはない」
などという心が出てしまいます。
けれど、本当に大切なことは目に見えないのです。
目に見えない大切なことを感じられる医療者になってこそ、
「病気が治らなくても、みんなが幸せになれる医療」を
実現することができます。
そんな人になりたいという思いを重ねていく毎日が実現の道です。
頑張りましょう。